季刊 表現の技術

すべての人間に公開

プライドをへし折る必要はありません。

実力もないのに無駄にプライドばかり高いと言われるような人がいて、ぼくも若いころは典型的にそういうタイプであった。

そういうプライドはへし折ってやるのが本人のためだとかいう親切な人というのがいるわけですが、おおきなお世話である。

というか、プライドをへし折るなんて危険きわまりない。

実力がないからこそ、プライドで自分を支えているのだ。うまく歩けない人が、杖を使うのとおなじである。

はたからみたら安っぽい、不恰好な杖かもしれないが、本人はそれだけが頼りなのだ。杖をへし折ったら歩けるようになるなんて、そんなバカなことはない。あまりにも乱暴な話だ。

ぼくの若いころは、まだまだ世の中が乱暴で、アッパー系であったので、「へし折れ」論者がはばをきかせていたものです。

たとえば徹底的に否定され罵倒されるワークでプライドをへし折って人格改造するセミナーなんかもあった。それでしあわせになった人は、まあいない。

なので、人のプライドを大事に扱う世の中になってきたのは、いい流れだとぼくは思っているのです。

それとは別に、本人が「自分の高すぎるプライドをなんとかしたいな」と悩んでいることがある。

「いっそプライドをへし折られた方がいいんじゃないか」なんて。

しかし、心配はいらない。

生きていると、いろんな人に迷惑をかける。

人に迷惑をかけるたびに、いい感じにプライドはすり減っていく。

「俺って大したことないんだな」と納得できる。

すり減るというのは磨かれるということでもあって、人に迷惑をかけるほどにプライドは磨かれ、あとにはちょうどよいくらいのきれいなプライドが残ります。

迷惑をかけながら、迷惑をかけられても許しながら、生きていきましょう。