季刊 表現の技術

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「かつて魚になりたいと念じた」

気分の落ち込みに運動が効くのはたぶん間違いない。走ったり筋トレをしたりするとスカッとする。くわしくは知らないが、アドレナリンが出たり、テストステロンというのの値が上がったりといった、ホルモンの作用によるのであろう。

問題は落ち込みがひどいときには運動もしたくないということである。ゆううつな気分のときに重いバーベルを持ち上げるのはダルい。これはぼくだけかもしれないが、寒くなってくると、ランニングやウォーキングで冷たい外気にさらされることが人生の厳しさの隠喩のように思えてしまい、とても走ったり歩いたりする気にならない。

運動が心の健康にいいのはたしかだが、その効果を発揮させるためには、心が弱っているときにもできる運動を確保しておくことが重要である。外は走れなくてもランニングマシンやエアロバイクなら漕ぐ気になるという人もいるだろう。ジムに行く気力がなくても、自重トレーニングの種目をいっぱい知っておくと家にひきこもったまま筋トレができてしまう。

プランシェって知ってます?あれできるようになったら相当楽しいと思う。

心が弱っているときにもできる運動は、自分の場合は水泳なのかなと思う。裸でやる運動だけれど、適温の水に包まれているのは無防備ではなく守られている感じがする。 ぼくは一応泳げるので、平泳ぎでたいして力を使わずに前に進んでいくのは気持ちがいいものである。それでいて終わったあとには快い疲労感がある。

うつで引きこもってしまった青年が水泳によって立ち直っていく過程を、これは自身の体験談なのだが、描いたお話が関川夏央の「かつて魚になりたいと念じた」である(『家はあれども帰るを得ず』という短編集に入っている)。これは70年代のお話であり、70年代の青年(ようするに団塊世代)のお話である。団塊世代にだって脆弱で病みやすい青年はもちろんいた。