季刊 表現の技術

すべての人間に公開

本に書きこむなら4Bの鉛筆で。

本を読んでいて、ラインを引いたり、なにか書きこんだりすることがあると思う。

そういうときにはやわらかい鉛筆をつかうとよい。

ぼくは製図用シャープペンシルに4Bの芯を入れてつかっている。

 

なんで製図用シャープペンシルかというと、河森正治監督が絵コンテを切るときに使っていたから真似したのである。なんで絵を描くわけでもないのに真似したんだとか聞かないでほしい、気分だよ気分。

大事なのはやわらかい芯をつかうということで、鉛筆でもシャープペンシルでもいい。ぼくはつかったことがないけど、芯ホルダーなどという乙なものもある。

書きこみをした本は、自分だけの本になり、すえながく座右に置いて繰りかえし読む、読むたびに学びがある、などといわれる。

けれども、みなさんご存知のように実際には書きこみをしようがしまいがほとんどの本は読みかえさない。これは本をたくさん読む人ほどそうである。

あたらしい本が次から次へと出るのだ。そして買ってしまうのだ。

これまたご存知のとおり、たとえ読み返さなくても、いな、一度も読まなくてさえ、本は持っているだけで「なにかよい。なんだかよい」というものではある。

しかし、収納場所には限界があるので、読みかえさない本はいずれ処分することになる。ブックオフに持ち込んだり、アマゾンやメルカリで売る人が多いだろう。

さて本を売るとなったら、書きこみは消しゴムで消す。そのほうが高く売れるからだ。次に読む人への礼儀という意味もあろう。

やわらかい鉛筆をつかったのはこのためで、消しゴムできれいに消えるからである。

見逃しのないよう、本を1ページずつめくりながら、傍線や書きこみを見つけては消しゴムで消していく。

これが大事なことである。

傍線や書きこみを見つけるたびに、「この本にはこんないいことが書いてあったのか」「これこれ、ここに感動したんだった」「自分はなかなかするどい疑問を持っている」「アホみたいなツッコミを得意げに書きこんでるな、アホだったんだな」といった発見がある。学びがある。

こうした発見の結果、「この本はやはり、手元においておこう」と考えなおすなら、それもよし。

ぼくの場合は、「この一節に、この書きこみにもう一度出会えてよかった」と思うことが多い。

棚に置いたままだったら二度と開かなかったかもしれない本である。

売ると決意したからこそ、わざわざ線を引いた、(自分にとっての)重要な一節を読み返すことになった。書きこまれた自分の思考を反芻し反省する機会が生まれた。

書きこみをしてよかったし、売ることにしてよかった。

これからもたくさんの本を買っては読み、線を引き、思いついたことがあれば書きこもう。そして、消しゴムをかけながら読み返し、売り飛ばして小銭を稼ごう。その金でまた本を買おう……と思い、気持ちよく本を売れるのである。

くりかえしになりますが、スペースさえ十分なら、たとえ読み返さない本でも持っておいたほうがいいと思う。賢い人はたくさんの本を持っていることが多い。

しかし、本好きにとって十分なスペースというのは、そうそうあるもんではない。

どこに何があるかわからないとか、ありそうな場所はわかってるけど取り出すには半日がかりとかいった方式で死蔵しておくよりは、本は売ったほうがいい。

売るからこそ、わざわざ線まで引いた一節をもう一度読み返すことができる。

そのほうが、頭の中のライブラリはゆたかになる。

だからこそ、書きこみはどんどんするべきである。ただし、やわらかい鉛筆で。

本を「読むと売るとは、『言』のちがいにすぎない。」というのは、評論家の呉智英先生の名言である*1

 

 

*1:ただし呉智英先生は、本を高く売るために書きこみなどするな、本の内容を吸収するために読書ノート(カード式)を書けというよりハードコアな方法をすすめていますが。