季刊 表現の技術

すべての人間に公開

秋が来たようだ

日が暮れてから、並木のある大通りを歩いていたら、ちいさな古着屋を見つけた。

「店内にある物 全品0円」

「ご自由にお持ちください」

路上にダンボールの手書き看板が出してある。
外からのぞいてみたら、レディースの古着だけではなくて、洋雑誌が並んだ書棚、ホーロー看板のレプリカやこまごまとした雑貨も見えた。
迷ったけれど、通り過ぎた。入ったら何かおもしろいものが見つかるかもしれない。お値打ち品をタダでもらえるかもしれない。メルカリで売ったら儲かるかもしれない。しばらく進んで、引き返した。

けれど、店の前でもう一度迷って、結局入らなかった。

店の中に人は見えなかったけど、店主は小柄な女性であるような気がした。小さい店で、女物の服が置いてあったからそう思っただけだと思う。でも髪は短めでアラサーだと思う。
ぼくは今日はじめてこの店の前を通り過ぎ、はじめてこの店に気づいた。気づいたときには、全品0円の日だった。
こんな日に、はじめて店に入っていって、金目のものや、利用価値のあるものをもらっていったら、小柄な店主はどう思うだろうか。んもう、こうなる前に来てよ!店を引き払う段になって来てくれても遅いのよ! などと嫌な気持ちにならないだろうか。

不用品を処分するのにもお金がかかるんだよ。持っていってもらったほうが助かるんだ。だからご自由にお持ちくださいなんだよ。君は言うかもしれない。そのとおりだろう。ぼくが、ちゃんとこの街の住人だったら、店主と同じこの街の住人だったら、何か持って帰っただろう。

あの小柄でショートカットの店主と同じ資格で、この社会に当事者として、真摯に、誠実に参加していたとしたら、何かを持って帰っても強欲ではない。困ったときはお互い様の一例だったろう。次はどこの街で仕事をするんです?またお店を開くんですか? いつかまた会えるといいね。そう言って、ぼくは洋雑誌の束を棚ごともらって帰ったかもしれない。

そんなことを考えながら、並木道を歩いていると気づいた。俺はかなり弱っているらしい。

ぼくの元気は日照時間に影響される。毎年、12月の冬至が「底」だ。ここから少しずつ元気を回復していって、6月の夏至あたりでピークを迎え、7月と8月はだいたい絶好調だ。9月が終わる頃から、ぼくの気分はだんだんと落ち着いてくる。あるいは、落ち込んでいく。日が短くなるほどに、ぼくは元気がなくなっていく。

今年は年明けから6月までの、本来なら上り坂の時期に、半病人のような生活を送ってしまった。そのせいか、夏至を過ぎてもあまり元気のピークという感じがしなかった。8月になってからは毎日散歩をしたりして、活動的に過ごしてはみた。楽しかったけれど、もう息切れしているみたいだ。もう秋が来たんだ。今年のぼくはもうかなり弱っているんだ。そのつもりで生きよう。