季刊 表現の技術

すべての人間に公開

いわゆる熊公ラーメン問題について

仲間褒めって悪いことではないと思うんですよね。

社会全体で見たら取るに足りない俺だけど、身近なところには俺の価値を認めてくれる人たちがいる。俺のチンケな自尊心を、ちゃんと面倒見てくれる人たちがいる。困ったときには助け合える。

熊公がやってるラーメン屋はたいしてうまくない。ターミナル駅までいけば10倍うまい人気店がある。値段も熊公ラーメンと変わらない。んだけど、でも熊公のラーメン屋で俺は塩ラーメンを食い「うまい」という。そんかし小金が入ったときにビールを頼むと、熊公はお通しにペラペラではあるけどチャーシューを3枚つけてくれる、こともある。

現実には俺にはラーメン店を営む熊公なんて友人はいない。熊公のラーメン屋は存在しない。ぼくたちは仲間褒めしたい欲求、コミュニティ形成欲求を満たすために、メディアを通じて知ったコンテンツに課金する。こうして人の素朴な欲求を利用するビジネスが十分に倫理的でないと、それは搾取だと批判される。悪い課金ビジネスだと言われる。当然である。

ぼくが仲間褒めをしたいのは、そのかわり自分も褒めてほしいからだ。仲間に課金して応援するのは、自分が困ったときには助けてほしいからだ。コミュニティ形成ビジネスが倫理的と言えるかどうかは、一部の人だけが得するんじゃなくて、誰であっても参加者が困ったときには助けられる仕組みになっているかどうかにかかっていると思います。