季刊 表現の技術

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「倒してもいいですか」と聞かない理由

新幹線や長距離バスで椅子をリクライニングするにあたり、後ろの座席の人に「倒してもいいですか」とたずねるのを、いつのまにかやめてしまった。

伊集院光がラジオで、アングロサクソン系の男性に新幹線でたずねたところ、「NO」と言われ釈然としない気持ちで大阪まで行った、という話をしていたのを聴き、怖くなったのである。俺も断られたらどうしよう。「俺には椅子を倒す権利がある」と強行に主張することはできないだろう。俺は気が弱い。泣き寝入りして、後々まで悔しい思いをするに決まっている。断られないためには、たずねないことだ。本当はどうしても倒したいのに、他人に妨げるチャンスを与えるなどどうかしている。

だから俺は、新幹線や長距離バスで椅子をリクライニングするにあたり、後ろの座席の人に「倒してもいいですか」とたずねるのをやめてしまった。といって、黙ってバタンと倒すのは感じが悪い。これもまた、気の弱い俺には取りづらい作戦である。

そこで、バスや新幹線が発車してしばらくした頃を見計らい、リクライニングのレバーをそっと倒し、少しずつ背中に体重をかけていくことで、人間の脳が認識できないくらいのスピードで、ゆっくりじわじわと椅子を倒していくことにした。後ろの席の人が気づいたときには、俺の座席はもう、十分にリクライニングしてしまっている。じわじわゆっくりと倒すので、後ろの席のテーブルに載っている飲み物がこぼれるといった事故も防げる。

などと考えながらあの日も東北新幹線のリクライニングシートでくつろいでいた。前の席に座っていた乗客が、顔を出して言った。

「蹴るのやめてもらえませんか」

メガネをかけた、おとなしそうな男であった。難癖をつけるタイプや被害妄想にとらわれるタイプには見えなかった。この男がわざわざこう言うのは、後ろの席の乗客が、繰り返し何度も何度も座席の背もたれを蹴ってきて、よほど腹に据え兼ねたときだろうと思われた。

しかし、困ったことに、俺には前の席を蹴った記憶はなかったのである。そんなことするはずがない。してどうする。

「え。蹴ってませんけど」

俺がそう言うと、男は「そうですか」と残念そうに言って顔を引っ込めた。やはり、「いや、お前蹴っただろう」と詰め寄れるようなタイプではない。平和主義の常識人なのである。

俺は怖くなってしまった。俺は、本当に、座席を蹴ったりしていない。蹴ってどうする。でも、あの眼鏡の常識人と、俺と、どっちが信用できるかといったら。