季刊 表現の技術

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三田寺のじいさんの球根

団地の草むしりでは、年長者、居住歴の長い先輩方の指示に素直に従い、キビキビと作業することを心がけている。限界集落にありがちなことであるが、俺のような40代は「若手」である。いちおう東京の23区内なのだが。

今日は百目鬼のばあさんの指示で、裏庭の球根を掘り返した。ばあさんいわく、球根は三田寺のじいさんが植えまくったもので、チューリップもあるが、他にも花が咲かないよくわからん草の球根もある。ようは雑草なので抜くのだが、抜いても抜いても球根がある限り生えてくるので「本当に嫌になる」そうで、根っこから掘り返すことになったのであった(ただし、チューリップは温存)。ニラに似た大味な姿をした草、その根もとにスコップを20センチほど突き込んでしゃくると、食えそうな球根が5、6個転がり出る。

さて三田寺のじいさんが入院したという話は昨年末に聞いていた。じいさんの球根畑をこうして撤去してしまうということは、「ははあ死んだんだな」と思ったが、「三田寺さん亡くなったんですか」と聞くのも「なんだ知らなかったの?」と呆れられそうで、ええ知ってますともご愁傷様ですみたいな顔をして、だまって球根を掘っていたのである。

そうしたら自治会役員の秦さんが来た。秦さんも年長者ではあるが、ばあさんという年ではない。俺よりひと回りくらい上かな。我が乙号棟の自治会のリーダー格である。秦さんは、百目鬼のばあさん以下、球根撤去に従事している3名(俺を含む)を見て「そこ(裏庭)よりも、外周の草むしりを優先してください」と言った。自分のプロジェクトを邪魔されて、百目鬼のばあさんは「え?何?」などと言って明らかに気に入らなそうである。秦さんのメガネがキラリと光った。百目鬼のババアは鎌を手にしたままだ。最長老とリーダー、両巨頭の間にピリっとした空気が流れ始めたので、「あっ、じゃあ僕が、僕が行きます」などと言って自分は外周の草むしりに異動した。

今度は草をむしったり、吹き溜まりの落ち葉を拾ったりしていると、秦リーダーが誰かと会話しているのが聞こえる。

「三田寺さん、どうなの」

「うーん、話しかけても、朦朧としちゃってわからないみたいね」

三田寺のじいさんは、まだ死んでいなかった。百目鬼のばあさんの独断専行である(球根の件)。

いろいろ思うことはあったが、というのは言葉のあやで、特に思うこともなく、1時間ほど作業を続けると草むしりは終わった。むしる草がなくなってしまったのだ。

裏庭の球根掘りは、プロジェクトリーダー(百目鬼のばあさん)が機嫌を損ねたため途中で有耶無耶になった。秦リーダーが「一段落ついたら、話があるので」と声をかけ、乙号棟のみなさんが集まった。

「みなさんもご存知の通り、三田寺さんは、おそらくもう、ここに帰ってはこられません」

リーダーも、三田寺のじいさんが帰ってこられると思っているわけではないのだった。